参戦200戦達成のDRAGONに聞く。SFライツへの情熱とこれから - superformula lights

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参戦200戦達成のDRAGONに聞く。SFライツへの情熱とこれから

2024/07/24

2024年第4大会で参戦200戦を達成したDRAGON(写真提供:B-Max Racin Team)2024年第4大会で参戦200戦を達成したDRAGON(写真提供:B-Max Racing Team)

 7月19日(金)〜21日(日)、静岡県の富士スピードウェイで開催された全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権第4大会・第11戦の決勝レース後、マスタークラスに飽くなき挑戦を続けるDRAGON(TEAM DRAGON 324)に、一般社団法人SFLアソシエーションから、2013年の全日本F3選手権参戦開始から200戦を達成したことを讃える記念のプレートが贈呈された。

 全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権のみならずFIA-F4などフォーミュラカーのレースに挑戦を続ける一方、チーム代表としての顔ももち、国内モータースポーツ界にさまざまな風を注ぎ続けているが、第10戦で200戦出走を達成した後、DRAGONにインタビューを行った。

「15年もやっていると思うと長いですね(笑)」

──改めまして、2024年全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権第10戦において、2013年からの全日本F3選手権時代から参戦200戦を達成されました。まずは今回の第4大会を振り返っていただけますでしょうか。第12戦では、わずか0.001秒差でのマスタークラス優勝も飾られました。

DRAGON:この第4大会は木曜、金曜の専有走行でクルマに不具合があったのですが、それをずっと見つけられなかったんです。今回は金曜の夕刻に予選がありましたが、その前まで何が原因か分からず、すごく調子が悪くて。マスタークラスのなかでも1.8秒くらい遅かったんです。『絶対何か壊れてる!』と改めてチェックをしたら、フロントが1本、リヤが1本ダンパーが壊れていたんです。

 原因が分かったのですが、その間いろいろセットアップを変えてしまったので何が良いのか分からなくなり、予選は沈んでしまったのですが、そこからレースウイークを通じてだんだん良くなっていきましたね。第12戦についても、スタートで前に出ることができましたが、混乱(中村仁が接触でスピン)に巻き込まれなければ、そのまま逃げ切れたと思います。

──第4大会についてはマスタークラスの4人のドライバーの実力が伯仲していました。予選では清水康弘選手(GNSY 324)、今田信宏選手(JMS RACING TEAM)がポールポジションを獲得。レースでは藤原誠選手(TEAM DRAGON 324)選手が2勝、DRAGON選手が1勝を飾りました。

DRAGON:富士スピードウェイは無理が利くということ、あとは(今季から参戦したふたりが)慣れてきているというところがあるので、こうなるだろうと予想はしていました。そのとおりになったので、面白いレースウイークでしたよね。それぞれポールポジションや優勝など結果が出ましたから。

──そんなレースウイークの第10戦では、DRAGON選手に200戦記念の表彰が行われました。事前に聞いていたのでしょうか?

DRAGON:まったく聞いていませんでした。表彰台に来いというので『何をやるんだろう』と。こちらは『疲れているんだけど』と思っていましたが(笑)、そこで記念の皿をいただき、とても嬉しい瞬間でした。

──2013年の全日本F3選手権が初参戦でしたが、なぜこのシリーズを選ばれたのでしょうか。

DRAGON:初参戦は全日本F3選手権のNクラスでした。もともと、ハコのレースをやっていたのですが、リーマン・ショック(2008年)がきっかけで、コストが安いレースに切り替えようと思っていました。それと、もともとF1や全日本F3000などを見ていたこともあって、フォーミュラが好きだったんです。リーマン・ショックを転機としてスーパーFJに乗ったのですが、それが面白かったので。そのままフォーミュラの方がいいな、とやってきました。

──初参戦時は何歳でしたか?

DRAGON:その時は42歳でした。いま57歳ですからね。(スーパーFJ含め)もう15年もフォーミュラをやっていると思うと長いですね(笑)。

乗っているからこそ分かることがある

──長年F3/スーパーフォーミュラ・ライツに参戦されているということは、参戦を続ける面白さがあると思うのですが、このカテゴリーの魅力とはなんでしょう。

DRAGON:F3/スーパーフォーミュラ・ライツというよりは、フォーミュラで走ることに楽しさがありますね。レーシングカートも乗ったことがなかったので。当然、やるならちゃんとやろうと思い、スーパーFJで3年間きちんと基礎を学び、JAF-F4にもスポットで何戦か出て。当時、全日本F3選手権にはNクラスがあり、選手権として確立していたこともあり、出場することになりました。当時はホンダさんやニッサンさんの育成ドライバーも出場していましたから、チャレンジし甲斐がありましたし、年齢のこともありもちろん勝つ、勝たないはありませんでしたが、若手に対し何秒以内で走ろう……等テーマをもって取り組んでいました。

 その後、Nクラスがなくなり(2018年から)最新の車両で戦うことになりましたが、体力の厳しさに対して、トレーニングも増やすようになりました。ストイックな生活をするようになりましたね。フォーミュラに乗るようになってタバコも止めましたし、生活はぜんぶ変えました。

──ドライバーとしてだけではなく、いまやB-MAX RACING TEAM、TEAM DRAGONなどチームを率いてシリーズを支える存在となっています。そのモチベーションはどこから来るのでしょうか。

DRAGON:スーパーフォーミュラ・ライツは育成カテゴリーなので、若手ドライバーがずっと参戦することはありませんよね。長くても3〜4年で卒業していくと思いますが、若手の夢を共有する、支えることに情熱をもっています。以前はメーカーの育成プログラムをやっていたわけではなかったので、才能があってもメーカーの育成から外れてしまったドライバーを再生するというところに重点を置いていました。

 競技なので、パフォーマンスがいちばん大事だと思っているんです。ただ素行が悪かったりと、そういう理由で外されていたドライバーがいますよね。いちばんの存在は関口(雄飛)でしたが、当時からすごく速かった。打倒ワークスではありませんが、そういう人たちと戦うこと、夢を共有することがすごく楽しいんですよね。

 その中で、レベルの違いこそあれ自分が乗っていると、何が起きているのかなど、ドライバーの気持ちが分かりますよね。スーパーフォーミュラ・ライツのレベルだと、ドライビングがうまくても心構えがまだ子どもだったりするので、そういったところを修正しながら、なんとかプロに押し上げたい……ということを一生懸命やるようになった感じですね。

──スーパーフォーミュラ・ライツはDRAGON選手がおっしゃられるとおり育成カテゴリーなので、今回の200戦参戦というのはなかなか実現する数字ではありませんよね。

DRAGON:たぶん世界最強ですね(笑)。こんなことを200戦もやるドライバーは他にいないと思います。スポーツカーのワンメイクレース等であればいるかもしれませんが、育成カテゴリーにこうしてオジさんが参戦すること自体が異例な話ですよね(笑)。歓迎されているかはさておき、長くやっているだけいろんなことを分かっているつもりです。

 そういう意味では、チャンピオンを争う若手ドライバーたちを、どうやったらチャンピオンにできるかの戦略、進め方は、一緒にやっているからこそ分かると思います。今年はクルマが大きく変わりましたが、一緒に乗っているので『今はこうだよね』、『こういう難しさがあるよね』ということが共有できるので、乗っていないよりも乗っている方がいいかな、と思っています。

──今回、200戦を達成されましたが、チームとして、またドライバーとしていつまで戦うのかも含め、今後どうしていきたいかなど未来像を教えて下さい。

DRAGON:キング・カズ(サッカーJFLアトレチコ鈴鹿クラブに所属する三浦知良選手)が引退したら僕も引退しますよ。同い年なので(笑)。それは冗談ですが、今のスーパーフォーミュラ・ライツは体力面でもすごく厳しいので、『もうやめようかな』と思いながら毎年やっています。

 でも、いまマスタークラスを作ってもらっていて、同年代のドライバーが戦っているじゃないですか。いまは4人ともチームは一緒ですが、今年はもうデータ共有も禁止するなどルールを作って戦っています。それが楽しいんですけどね。なので、やれる範囲でもう少しやろうと思っています。

 チームとしても、いまはFIA-F4も含めてホンダさんから若い子どもたちをお預かりする大事な立場を任されていますので、しっかり取り組んで、スーパーフォーミュラ・ライツを経由してスーパーフォーミュラにドライバーを送り出したいと思っています。

 またチームとしての夢ですが、我々のチームから巣立ったドライバーがスーパーフォーミュラをさらに超えて、F1やインディカーなどで活躍する姿を見たいと思っています。国内で頂点を極めるという目標はもちろんですが、世界レベルのドライバーを自分のチームから輩出するのも夢のひとつですね。

DRAGON
1967年1月25日生まれ、神奈川県出身。2013年から全日本F3選手権F3-Nクラスに参戦を開始。2017年にはF3-Nクラスチャンピオンを獲得。2019年全日本F3選手権マスタークラスチャンピオン、2021年全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権マスタークラスチャンピオンを獲得。またB-Max Racing Team代表としてもさまざまなレースに情熱を燃やし、若手育成にも携わる。2024年第10戦で全日本F3選手権/全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権参戦200戦を達成した。